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3月4日は三線の日!三線の歴史について学ぼう!

2018年10月18日


こんにちは。
3月4日は三線(さんしん)の日です。
3(さん)4(しん)の語呂合わせで3月4日になりました。
その日は、ラジオから流れる12時の時報に合わせて三線演奏が始まります。

 

 

 

 

三  線

三線の歴史は、琉球王国統一時代も中国大陸や東南アジアとの

交易がありましたが、三線はそれ以前に持ち込まれたもので、

ルーツは中国福建省のお弦楽器「三弦」だそうです。

三線は、本土の三味線よりも歴史は古く、15世紀後半、士族の

教養のために琉球王国の尚真王が中国の「三絃」を広め、

その後泉州(現在の大阪)界へと伝わり、本土の三味線と

伝えられたようです。

17世紀初頭、琉球王国は三線主取(サンシンヌシドゥイ)

という役職も設け、その役職である踊奉行の玉城 朝薫(たまぐ

すく ちょうくん)が組踊りを創作し、沖縄音楽に必要な三線、

太鼓、胡弓や琉球舞踊の礎となりました。

組踊りは、日本芸能の能や歌舞伎を参考に作られており、

王国摂政の羽地朝秀(はねじ ちょうしゅう)の影響であると

言われています。

現代の琉球舞踊は女性のイメージだが、男性の踊りだったよう

です。

同様に三線も男性の楽器とされてきて、調弦(チンダミ)

基本男性用になっています。

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名器 ケージョー

明治時代後半、琉球処分を経て激しい戦火に見舞われた

第二次世界大戦末期には、250年物の三線や琉球王国所有の

三線で名器とされる「開鐘(ケージョー)」も

失われるということになりました。

沖縄は、第二次世界大戦で失ったものが多すぎます。

それでもウチナーンチュは、戦後まもなく物資も何もなかった

時代、廃材や空き缶を利用した手作り三線のカンカラ三線を作

り、捕虜収容所などの人々は、唄三線(ウタサンシン)

で励ましあいながら戦後の苦しい時代を生きぬいてきたので

す。

 

カンカラ三線

こちなみにカンカラカラ三線は、戦前から子供のおもちゃとして

あった様です。

方言で空き缶のことを『カンカラー』といいます。

カンカラーで作った三線で『カンカラ三線』です。

カンカラ三線

工工四

工工四とは、三線の弦を指で押さえる場所、ギターでいうコー
ドですね。

それを三線では、勘所(カンドコロ)といいます。

「合」「乙」「老」など漢字1文字で表しています。

三線の楽譜である工工四(クンクンシー)は18世紀の

演奏家屋嘉比 朝寄(やかび ちょうき)が、当時の中国から

伝わった楽譜を足りないものを補い、初めて「工工四」という

楽譜の形で残されたということです。

工工四がない時代、口承でしか伝えられなかった琉球古典音楽

が、工工四のおかげで、楽譜としてたくさんの曲が残されまし

た。

三線を簡単に弾く方法

三線を簡単に弾く方法

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