ひどい!「チビチリガマ」荒らされる。
目次
集団自決の地「チビチリガマ」
遺骨までも…。血も涙もない人なのか…。
9月月12日、72年前の沖縄戦で集団自決が行なわれ、
85人が亡くなったチビチリガマが荒らされました。
入り口付近の看板は引き抜かれ、子供たちが折った折り鶴も引きちぎられ、
ガマの奥に残された遺骨、入れ歯、瓶や器などの生活用品までも壊され、
包丁までもねじ曲げられていたそうです。
こんなことをして何の意味があるのでしょうか?
30年前にも、
右翼団体員によって「世代を結ぶ平和の像」が破壊されました。
その後、建て直されましたが、なぜこういうことをするのでしょうか?
ほんとに理解できません。
チビチリガマとは?
1945年4月1日、アメリカ軍上陸で読谷村波平区(よみたんそんなみひらく)の
住民は、村内のチビチリガマとシムクガマに分かれ避難しました。
チビチリガマとシムイガマ、生死の要因はなんだったのか?
チビチリガマでは、翌日3歳や5歳の子供も含む85人の住民の凄惨な集団自決が
行なわれました。
しかし対照的にもう一つのシムクガマの避難住民には集団自決で亡くなった人は
いなかったということです。
この生死を分けた避難場所ですが、シムクガマにはハワイからの帰国者が二人
おり、『アメリカ人は殺さないよ』と投降へと導き、助かったと言われていま
す。
チビチリガマ
チビ=尻、チリ=切る、ガマ=自然壕
浅い谷の底にあり、谷川を流れる細い川はガマへ流れるが、どこへ流れるか分からないということからこの名前がついたそうです。
シム=下、ク=向く、谷の下にあることからこの名前がついたそうです。
http://www.yomitan-kankou.jp/detail.jsp?id=76381&menuid=11954&funcid=3
出典元:沖縄県読谷村観光協会
読谷史
沖縄戦当時のチビチリガマでの様子が読谷史に詳しく書かれています。
http://www.yomitan.jp/sonsi/vol05a/chap02/sec03/cont00/docu129.htm
出典元:読谷史
平和学習の場所
チビチリガマは、悲惨な沖縄戦を学ぶ場所であり、修学旅行生など毎年一万人
以上が訪れ、平和学習にも使われています。
壕内には、今も遺骨が残されており、遺族は神聖な墓と位置づけています。
こういう心無い人がいるからか、現在は遺族会の意思により入壕は禁止されて
います。
悲しいですね。多くの人が、もう少し沖縄の歴史を学んでほしいと思います。
最後に
チビチリガマは、凄惨すぎる沖縄戦を語りつなぎ、平和であるために忘れてはな
らない神聖な場所です。
平和を望む人なら手を合わすべき場所であり、こういう行為は、許されることではありません。
早期の犯人逮捕を望みます。
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