浅利慶太氏85歳で逝去!劇団四季創設創立者で演出家リンパ腫で死去!
こんにちは。
また有名人の訃報のニュースです!
劇団四季の創立者である浅利慶太氏(85歳)が2018年7月13日(金)悪性リンパ腫でお亡くなりになったそうです。
最近、芸能人や有名人の訃報が多いですよね。
才能のある方の訃報は辛いですね。
劇団四季は有名な劇団ですね。
創立者である浅利慶太氏ですが、演出家として活躍されていた浅利慶太氏、名前は知っていたのですが、ミュージカルと縁があまりないので、どういったミュージカルを演出していたのか調べてみました。
お子さん、奥さんも活躍されているのでしょうか?
気になったので調べてみました!
目次
劇団四季より
劇団四季創立メンバーの一人、演出家で元劇団代表の浅利慶太が、2018年7月13日(金)17時33分、悪性リンパ腫により、都内病院で逝去いたしましたのでお知らせ申し上げます。享年85歳でした。葬儀につきましては親族のみで執り行い、後日、お別れの会を実施させていただく予定です。お別れ会の詳細につきましては、後日、当ウェブサイトでもお知らせいたします。
慶應義塾大学文学部仏文学科在学中の1953年に、日下武史(故人)ら10名で劇団四季を創立。以来、劇団代表/演出家として、ストレートプレイからミュージカルまで、ほぼ全作品のプロデュースや演出を手掛けました。
『ウェストサイド物語』、『コーラスライン』、『ライオンキング』等の海外作品翻訳上演、『夢から醒めた夢』、『ユタと不思議な仲間たち』、「昭和の歴史三部作(『ミュージカル李香蘭』/『ミュージカル異国の丘』/『ミュージカル南十字星』)」等のオリジナルミュージカルを手掛け、日本にミュージカル文化を定着させました。また、1983年初演の『キャッツ』では、日本初となるロングラン公演を成功させるなど、日本演劇の興行形態に革新をもたらしました。
一方、劇団外の活動として、オペラの演出も手掛けました。ミラノ・スカラ座など海外の劇場で、『蝶々夫人』、『トゥーランドット』等を上演し、国際的な評価を得ています。1998年には、長野冬季オリンピック開閉会式のプロデュース・演出も務めました。
さらに長年、社会貢献活動にも尽力し、近年では、全国規模の児童招待事業「こころの劇場」、小学校などへ直接訪問する日本語授業『美しい日本語の話し方教室』に取り組みました。
2014年に劇団代表職を退いてからは、活動の拠点を、現在の浅利演出事務所へと移し、「浅利慶太プロデュース公演」として、計12公演の演出を手掛けました。
紀伊国屋演劇賞、菊池寛賞、読売演劇大賞、ドイツ連邦共和国一等功労勲章、イタリア・アッビアーティ賞、中国政府友誼賞他、国内外での受賞多数。演劇界に真の意味でのプロフェッショナリズムを確立し、数多くの俳優、スタッフを発掘、育成した成果は、日本の劇場文化を大きく発展させました。劇団四季のメンバーにとっても、常に精神的支柱であり続けました。劇団員一同、心より感謝と哀悼の意を表し、安らかな眠りをお祈り申し上げます。
引用元 : 劇団四季 Latest News
浅利慶太氏プロフィール
生年月日 : 1933年3月16日生まれ
最終学歴 : 慶応義塾大学仏文科
1953年、慶応大学在学中に「劇団四季」を立ち上げる。
2014年劇団四季社長を辞任
【写真特集】若かりしころの浅利慶太さんです。https://t.co/oHfK90gkR0
— 毎日新聞 (@mainichi) July 18, 2018
劇団四季とは?
ミュージカルといえば劇団四季というくらい劇団四季は有名ですよね。
劇団四季は浅利慶太氏が、慶応大学在学中の1953年に俳優の日下武史(82)氏と旗揚げし、キャッツ、オペラ座の怪人、ライオンキングなど年間3000ステージ、年間売り上げ200億円以上という大劇団です。
浅利慶太氏劇団四季社長を突然の辞任
2014年6月25日浅利慶太氏は劇団四季の取締役社長を突然退任しました。
社長退任の理由としてあげられていたのは、アルツハイマーや認知症で15年間ものロング上演のライオンキングのラフィキの名前も忘れたりで仕事に支障がでてきたからではないかと噂されていました。
しかし、翌年の2015年には、新事務所浅利演出事務所を設立、フランス演劇「オンディーヌ」を上演しました。
その後も立て続けにミュージカルを上演しています。
認知症は、軽度だということなので、劇団を小さくしたことで、また活躍の場ができたということでしょうか。
浅利慶太さんは1953年、慶応大在学中に東京大の学生らとともに劇団四季を創立。戦後日本の演劇興行に革新をもたらしました。https://t.co/0bA5vwREsm
— 毎日新聞 (@mainichi) July 18, 2018
浅利氏の妻は?
浅利慶太氏の奥さんは元劇団四季劇団員の野村玲子さん、
2015年に退団後は浅利慶太氏の事務所の劇団員と在籍されているということです。
夫の浅利慶太氏が社長退任したので、退団したようです。
浅利慶太氏の息子は?
俳優の浅利陽介さんが息子ではないかとの噂がありますが、お子さんはいらっしゃらないようですね。
浅利陽介さんはお子さんにしては若すぎますよね。
孫くらいの年でしょうか。
演出家の浅利慶太さん死去、85歳 「劇団四季」創設者 https://t.co/Ke3LUb9Iip
— 朝日新聞(asahi shimbun) (@asahi) July 18, 2018
#劇団四季 の元代表で「キャッツ」や「ライオンキング」などのミュージカル上演を手掛けた演出家 #浅利慶太氏 が死去、85歳 https://t.co/niKY20Cmbr
— ロイター (@ReutersJapan) July 18, 2018
https://twitter.com/kirikiri_jyukai/status/1019470478652534784?s=12
市村正親
鹿賀丈史
榎木孝明
滝田栄
石丸幹二
矢崎滋
沼田爆
天本英世
大和田伸也
栗原英雄
吉田鋼太郎
増山江威子
山口祐一郎
横山だいすけ
堀内敬子
藤本隆宏
加藤雅也思いつくまま『#劇団四季』出身者。#浅利慶太 さんの薫陶を受けた名優。
— 酒上小琴【サケノウエノコゴト】 (@raizou5th) July 18, 2018
劇団四季創立者である浅利慶太先生がお亡くなりになった。1983年に「キャッツ」のオーディションに合格してラムタムタガー役を演じていた。先生の厳しく情熱ある演出、男の色気を備えた完璧な演出家であった。そんな大演出家の指導を若いうちに受けることが出来て光栄です。ご冥福をお祈りします。
— 川﨑麻世 MAYO KAWASAKI ✨official✨ (@kawasakimayokun) July 18, 2018
【浅利慶太さん死去】 #劇団四季 の創設者で、長野五輪の総合プロデューサーなどとしても幅広く活躍した演出家の #浅利慶太さん が悪性リンパ腫のため東京都内の病院で死去しました。85歳でした。
写真特集はこちら⇒ https://t.co/oM7XyXrx9J pic.twitter.com/B95znjrMMH
— 時事ドットコム(時事通信ニュース) (@jijicom) July 18, 2018
まとめ
ミュージカルとは縁のなかった私でも知っている浅利慶太氏の劇団四季、学生時代に学校の行事として体育館で、観劇した記憶があります。
なかなか沖縄ではミュージカルを見る機会がなく、名前は知っていましたがどれだけすごい人かは、亡くなってからの情報で知りました。
ご冥福をお祈りします!
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