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訃報!翁長県知事命がけで辺野古基地建設阻止も逝く。沖縄は衝撃と悲しみ!

2018年8月12日

こんにちは。

昨日、衝撃的なニュースで一日中、沈んでいました。

8月8日沖縄県知事の翁長雄志氏がすい臓がんのため、お亡くなりになりました。
67歳でした。

沖縄の大きな基地問題に取り組んでいた翁長知事、11月の県知事選にも意欲を見せていたのに

とても残念です。

期待されていただけに、沖縄中悲しみに包まれた1日だったと思います。

名護市辺野古への新基地建設反対を訴え、2014年沖縄県知事に初当選して以来、

命がけで最後まで辺野古新基地阻止を貫いてくれました。

翁長知事のためにも辺野古は阻止しないといけませんね。

翁長沖縄県知事は、「イデオロギーよりアイデンティティー」という政治方針で、時にはしまくとぅば(方言)で優しく語りかけ、

時には、政府の不条理な態度に怒りを表しました。

本当に県民の代弁者となって政府に問いかけ続けてくれました。

色々な県民を勇気付ける言葉を残してくれました。

もう一度思い出して見ましょう!

目次

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翁長知事のこれまでの発言集

2014年12月10日就任直後の挨拶
「私は保守の人間だが、沖縄に在日米軍専用施設面積の74パーセントが集中するのは大変不条理で、許されるものではないと考える。
基地問題を解決しなければ、21世紀に羽ばたくことはできない」

2015年4月5日 菅義偉官房長官との初会談
「辺野古の新基地は絶対に建設できない。移設を粛々と進めるという発言は問答無用という姿勢が感じられ、上から目線の言葉を使えば使うほど県民の
心は離れ、怒りを増幅する。官房長官の言葉は、キャラウェー高等弁務官の姿を思い出させる」

2015年5月17日辺野古新基地に反対する県民大会
今本土で飛んでいるオスプレイは一定期間が過ぎたら、みんな沖縄に帰って来るんです。これを 日本の政治の堕落 というんです。
どうか 日本の国が独立は神話 だと言われないように、安倍首相頑張ってください。ウチナーンチュ、ウシェーテェーナイビランドー(沖縄の人を舐めては
いけませんよ)」

2015年12月代執行訴訟第1回口頭弁論の意見陳述で
「政府は民意に関わらず、強行している。米施政権下となんら変わりない日本に地方自治や民主主義はあるのか。
沖縄のみ負担を強いる安保体制は正常か 国民に問いたい」

2016年6月19日 元米兵の女性暴行事件に抗議する県民大会
「グスーヨー、マケテーナランドー。ワッター、ウチナーンチュヌ、クワンウマガ、マムティイチャビラ、チバラナヤーサイ
(皆さん、負けてはいけません。私達、沖縄の人の子や孫を守るために頑張りましょう)」

2017年 1月5日MV22オスプレイの空中給油訓練再開を受けて
怒りを禁じ得ず、強い憤りを感じる。県民に十分な理解がない形で、安易に米軍側の発表を追認している。県民不在の中、
米軍が発表する形で物事が進められており、残念だ。 日本地位協定の下では法治国家とは言えない」

2017年12月13日 米軍CH53大型輸送へりの窓落下で現場を視察
一番守ってあげなければいけないこども達 だ。運動場のど真ん中に落ちたのは許されない」

2018年 1月24日首相官邸で記者団に
「米軍機の相次ぐ不時着にまさしく、米軍全体がクレージーだ」

2018年 1月29日 県庁で記者団に
「(米軍機不時着を巡る不適切発言で辞任した松本文明内閣府副大臣に対して)本土の 政治家の無理解には背筋が凍る思い だ」

2018年5月15日 すい臓がん公表会見で
「公務をしっかりこなす中で、私への負託に応えていきたい」

2018年 7月27日辺野古埋め立て承認撤回方針の表明会見で
「朝鮮半島の非核化と緊張緩和への努力が続けられている。 (日本政府は)平和を求める大きな流れからとり残されているのではないか

その他の名言

「頭を冷やして考えてみようではないか。 アメリカ人の民間人が沖縄で起こした凶悪刑事事件の賠償の支払いを、なぜ日本政府が肩代わりしなければならないのか

「沖縄は自ら招いたのでもない米軍基地を挟んで『平和だ』『経済だ』と憎しみあってきた。本土の人はそういう対立を上から見て笑っている」

「これからも困難は多いが、ピエロになってでも、やっていくしかありません。問題意識を持って、【誇りある豊かさを】 と訴えていく。こうした は、今の若い人たちにも、残せるのではないかと思っているんです」

「基地移設のために、十和田湖や松島湾、琵琶湖が埋め立てられたら、全国はおそらく怒りで震えるでしょう。しかし、沖縄だとそうはなりません。辺野古の大浦湾が埋め立てられても、無関心な人たちの心は痛まない」

目の届かないところには無関心。同じ日本国内なのに。

 

 

翁長知事のあゆみ

1950年10月 那覇市(旧真和志村)に生まれる。
1975年3月 法政大学卒業
1985年8月 那覇市議会議員に初当選し、2期務める。
1992年6月 県議会議員に初当選し、2期務める。
2000年12月 那覇市長に初当選し、4期努める。
2013年1月 建白書提出時、東京養成行動の代表。
「米軍は経済発展の阻害要因だ」と訴える。
2014年10月「オール沖縄」で米軍普天間飛行場の辺野古移設反対を訴え、県知事選に立候補する。
2014年11月 現職の仲井真前知事を英軍10万票の大差で破り、初当選し第7代知事に就任する。
2015年5月 辺野古移設工事反対を訴える為に訪米。訪米は計4回している。
2015年9月 国連人権理事会で基地負担の不平等を訴える。(日本の都道府県知事では初めての演説となる。)
2015年10月 仲井真前知事による埋め立て承認取り消し。その後、国と法廷闘争となる。
2016年5月 止めよう!辺野古新基地建設県民大会で演説する。 ウチナーンチュ、ウシェーテーナイビランドー(沖縄の人をなめてはいけませんよ!)と島くとぅばで呼び掛けた。
2016年12月 最高裁で敗訴が確定する。
2017年3月 キャンプ・シュワブ前の県民集会で「撤回を必ずやる」と明言する。
2017年7月 県が埋め立て工事差し止めを求め、提訴。
2018年3月 那覇地裁が県の訴えを却下。
2018年4月 すい臓がんが見つかり、切除手術を行った。
2018年5月 退院後すい臓がんであることを公表する。

2018年6月12日 県議会に出席し、責任を全うしたいと発言する。
2018年6月23日 沖縄戦没者追悼式典に出席し、「辺野古に新基地を造らせないという私の決意は、これからも揺らぐことはありません」と宣言。
2018年7月27日「公益に適合しない」と埋め立て承認の撤回手続きに入ることを表明する。
2018年7月31日聴聞通知書を防衛局に通知

オール沖縄とは

沖縄県宜野湾市の普天間基地の名護市辺野古移設反対派による党派を超えた組織で、「辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議」の略称。
政党・会派・政治家・経済団体・業界団体・労働組合・市民団体により、辺野古移設反対派の政治的活動を統一する

組織として2015年12月に結成させ、
翁長県政を支えてきました。

沖縄には魂の飢餓感がある

「沖縄には魂の飢餓感がある」 翁長知事就任2年、語録で振り返る
2016年12月10日 10:00

沖縄県の翁長雄志知事が10日で就任2年を迎えた。任期の折り返し地点に差し掛かった翁長県政。国との対立が続く基地問題を中心に、その発言を振り返った。
2014年

12月10日の就任直後、翁長知事は記者や職員へ新基地建設阻止への決意を伝えた。

「大浦湾を埋め立ててはいけない。沖縄に在日米軍専用施設面積の74%が集中するのは大変理不尽だ」

就任後、政府は知事を冷遇する。政権ナンバー2の菅義偉官房長官との初会談は、就任から117日目の15年4月5日だった。菅氏に言葉をぶつけた。

「移設を『粛々』と進めるという発言は問答無用という姿勢が感じられる。上から目線の言葉を使えば使うほど、県民の心は離れ怒りは増幅する。官房長官の言葉は、キャラウェイ高等弁務官の姿を思い出させる」

■「沖縄にのみ負担を強いる安保体制は正常か」

3万5千人が参加した5月17日の県民大会で、民意を顧みず、基地建設を強行する政府に疑問を投げ掛けた。

「日本の独立が神話だと言われないよう安倍首相、頑張ってください。ウチナーンチュ、ウシェーティナイビランドー(沖縄の人をないがしろにするな)」

8月10日から1カ月間、政府は

辺野古の工事を止め、県との集中協議に臨んだ。だが、原点の違いなどで意見は平行線をたどる。協議で、心の内を吐露した。

「沖縄には魂の飢餓感があり、心に空白ができている。日本の安全保障を理性的に話し合うのは難しい」

国と県の争いは司法の世界に移った。12月2日、代執行訴訟の第1回口頭弁論で意見陳述した。

「日本に地方自治や民主主義はあるのか。沖縄にのみ負担を強いる安保体制は正常か。国民に問いたい」

■「負ケテーナイビランドー」

2016年3月4日、国と県が和解。知事は期待を寄せる。「本当の意味で協議ができればありがたい」 だが、国はわずか4日後、知事の埋め立て承認取り消しを違法として是正指示を出した。

「(国は)誠意ある協議をしたいとも言っていた。大変残念だ」

6月19日、米軍属の男による暴行殺人事件に抗議し、沖縄からの海兵隊撤退決議を採択した県民大会で、基地問題に取り組む意欲を改めて示した。

「グスーヨー、負ケテーナイビランドー。ワッターウチナーンチュヌ、クワンウマガ、マムティイチャビラ、チバラナヤーサイ(皆さん負けてはいけません。私たち沖縄人の子や孫を守るため頑張りましょう)」
辺野古違法確認訴訟で敗訴し、県は不服として9月23日、上告した。「高裁判決は憲法や地方自治法、公有水面埋立法の解釈を誤った不当な判決で到底受け入れられない。最高裁には、埋め立て承認の取り消しが法的に正当だとする判断を求める」

 

引用元 : 沖縄タイムスプラス

沖縄タイムス金平 茂紀の ワジワジー日記

 

 

翁長知事が死去 生前に語っていた沖縄への想い 

 

「とにかく新基地は造らせない。でも、もし万策尽きたら、その時は2人で座り込もうな」

沖縄県の翁長雄志知事は知事当選を果たした夜、自宅に戻って晩酌を傾けながら妻にこう語ったという。証言したのは、その翁長知事の妻・樹子夫人(60)。

夫婦二人で辺野古に座り込むというのは、かなり悲壮な覚悟だが、たしかに、辺野古移転を巡る翁長知事と安倍政権の対立は緊迫の度を増している。昨年12月2日には国が翁長知事に対して埋め立て承認取り消し撤回を求めた代行訴訟弁論が始まり、同月25日には、翁長知事の辺野古埋め立て承認取り消しに対し、石井啓一国交相がその効力を一時停止したのは違法であるとして、県が国を提訴する事態となっている。

そんな中、妻の樹子さんが「女性自身」(光文社)1月19日号の連載ルポ「シリーズ人間」に登場し、沖縄が抱える基地問題や平和への想いを語っている。その中でも興味深いのは夫・翁長知事の基地に対する考えの変遷が“妻の目から”語られていることだ。

よく知られているように翁長知事は知事出馬以前、自民党に所属する議員であり“基地容認派”で“辺野古移転賛成”でもあった。それが一転、2014年の知事選では辺野古移転反対やオスプレイ配備撤回を求めたことで、保守派から批判される材料ともなったが、そこには翁長家、いや沖縄全体を襲った事件と翁長氏の苦悩が存在した。

那覇市で生まれた樹子さんが翁長氏と結婚したのは1982年。夫である翁長氏が那覇市議選に初出馬し当選したのはその3年後だった。その後も沖縄県議、那覇市長と歴任した翁長氏だが、その間一貫して自民党からの出馬であり、基地問題や辺野古移転に関しても容認、賛成の立場だった。もちろん当時の樹子さんも夫の選挙や政治活動を支えている。

「本当にありがたいことなんですが、選挙がないときも、妻の私もいろんな会合に顔を出さないといけない。選挙中ともなれば、朝、家を飛び出したら、帰宅できるのは毎日夜中です。それでもいろんな人が支えてくれていますから」

そんな樹子さんが「ああ、もう無理」と衝撃を受ける大事件が起こった。それが95年9月に起きた米軍兵士3人による小学6年生少女集団暴行事件だ。

「そのときね、うちの長女は5年生だった。そばにいた長女を見て『この子だったかもしれないんだ』と思ったら、ショックでね……私のなかで、ハッキリ、もう地位協定も基地も無理って思ったのは、この事件がキッカケでした」

この問題は沖縄だけでなく日本全体を震撼させ、その後の日米地位協定の運用改善の契機ともなった

「あたし、直情型だから。毎晩のように翁長とけんかしてました。『地位協定、おかしいでしょ』『自民党、おかしいでしょ!』って。その時の翁長? 思っていることの半分も出さずにためておける人なんです。胸のなかでは私と同じような怒りを共有していたと思うけど、私が感情的になればなるほど、抑制したというか……でも、彼だって人の親、苦しかったと思います」

翁長知事の実父・助静氏は保守系の政治家だった。幼いころから周囲には敵対陣営となる革新派が多い中、翁長氏は言いたいことが言えず、多くを溜め込む性格になったのだというのが樹子さんの分析だ。

とはいえ少女暴行事件が起きてから、基地反対に変わるまで約20年もの年月がかかってしまった。しかし少女暴行事件に端を発した妻・樹子さんの思いに呼応し、翁長知事自身、「長年の怒りや悲しみの感情が積もり積もっていたはず」だと樹子さんは言う。そして、保守の壁を打ち破るために知事選で打ち出したスローガンが「イデオロギーよりもアイデンティティ」だった。

「知事選に出るときに、あの人は『ぼくはピエロになるかもしれない』と言っていたの。一歩間違えれば、保革双方の支持者が離れていくって。でも彼は『自分はそれでも構わない』とも。もっと言うとね、私言ったの。『あなた、殺されちゃうかもしれないよ』って。それでも翁長は『それでもしょうがないと思っている』って」

現在辺野古のゲート前で声を上げるなど基地反対を叫ぶ樹子さんだが、夫とともに沖縄のため平和のために闘っていく決意をしている。

「裁判の行方はわからない。でも勝とうが負けようが、沖縄のプライドだけは、もう捨てたくない。そして、1人でも多くの子どもたちに、沖縄戦のことを、平和がいかに大切かを、伝え続けていきたい」

こうした妻や沖縄県民の思いの一方、安倍政権の翁長知事いじめ、訴訟など強行姿勢はますます苛烈さを加速させている。同時に宜野湾のディズニーリゾート誘致、復興予算の増額など、なりふり構わぬ切り崩しに躍起だ。

安倍政権はこれからもますます、圧力を強め、次々と強行策を繰り出してくるだろう。しかし、今年1月には宜野湾市長選、6月に県議選、そして7月の参院選と、有権者が基地問題に意思を表明するチャンスは残されている。翁長知事夫妻が基地前に座り込むような「万策尽きた」事態になる前に、私たちの手で安倍政権の横暴を食い止めなければならない。
(伊勢崎馨)

 

引用元:LITERA

安倍首相が翁長知事と沖縄に見せたあまりに不誠実で冷酷な態度

けながら、その問題がクローズアップされることもなかっただろう。翁長知事こそが、権力の言いなりにならず、民の声を代表するという民主主義の“最後の砦”となってきたのだ。

翁長知事は2015年、国連人権理事会でおこなった演説でこう述べた。

「自国民の自由、平等、人権、民主主義、そういったものを守れない国が、どうして世界の国々とその価値観を共有できるのでしょうか。日本政府は、昨年、沖縄で行われた全ての選挙で示された民意を一顧だにせず、美しい海を埋め立てて辺野古新基地建設作業を強行しようとしています。
私は、あらゆる手段を使って新基地建設を止める覚悟です」

その翁長知事が逝ってしまった──。最後の最後まで辺野古の新基地建設撤回を求めてきた翁長知事を思うと無念さとやりきれなさで一杯になるが、この結果にもっともほくそ笑んでいるのが、安倍首相であることは間違いない。

今年の「平和宣言」のなかで翁長知事が述べた、「『辺野古に新基地を造らせない』という私の決意は県民とともにあり、これからもみじんも揺らぐことはありません」という強い言葉。この遺志を、わたしたちは翁長知事から引き継がなくてはいけない。最後に、前掲書から翁長知事のメッセージを紹介しよう。

〈これまで沖縄の人たちは、言いたいことがあっても言葉をのみ込んできました。しかし、私だけは政治的に死んでも肉体的に滅んでも、沖縄を代表して言いたいことを言おうと思いました。
その意味で、いま私がなしている政治は私でなければできないという自負はあります。そして沖縄の心を一つにしたいという思いは私がいちばん抱いていると信じています〉

さらに象徴的なのが、2015年9月におこなわれた普天間基地の辺野古移設をめぐる沖縄県と政府の第5回集中協議だ。このとき、翁長知事は安倍首相に直接、「総理の『日本を取り戻す』というなかに沖縄が入っているんですか」と尋ね、「戦後レジームからの脱却と言っているけれども、沖縄の現状を見ると、戦後レジームの死守ではないか」と訴えたという。

しかし、翁長知事のこうした問いかけや訴えに対し、安倍首相はなんの反応もみせず、無視したというのである。

翁長知事の意見を無視し、沖縄を切り捨てる政策で民意をズタズタにしてきた安倍首相と、その横暴な態度に毅然と抗議をおこなってきた翁長知事。翁長知事が誕生していなければ、沖縄はさらに奴隷的な扱いを受けながら、その問題がクローズアップされることもなかっただろう。翁長知事こそが、権力の言いなりにならず、民の声を代表するという民主主義の“最後の砦”となってきたのだ。

翁長知事は2015年、国連人権理事会でおこなった演説でこう述べた。

「自国民の自由、平等、人権、民主主義、そういったものを守れない国が、どうして世界の国々とその価値観を共有できるのでしょうか。日本政府は、昨年、沖縄で行われた全ての選挙で示された民意を一顧だにせず、美しい海を埋め立てて辺野古新基地建設作業を強行しようとしています。
私は、あらゆる手段を使って新基地建設を止める覚悟です」

その翁長知事が逝ってしまった──。最後の最後まで辺野古の新基地建設撤回を求めてきた翁長知事を思うと無念さとやりきれなさで一杯になるが、この結果にもっともほくそ笑んでいるのが、安倍首相であることは間違いない。

今年の「平和宣言」のなかで翁長知事が述べた、「『辺野古に新基地を造らせない』という私の決意は県民とともにあり、これからもみじんも揺らぐことはありません」という強い言葉。この遺志を、わたしたちは翁長知事から引き継がなくてはいけない。最後に、前掲書から翁長知事のメッセージを紹介しよう。
〈これまで沖縄の人たちは、言いたいことがあっても言葉をのみ込んできました。しかし、私だけは政治的に死んでも肉体的に滅んでも、沖縄を代表して言いたいことを言おうと思いました。(中略)
その意味で、いま私がなしている政治は私でなければできないという自負はあります。そして沖縄の心を一つにしたいという思いは私がいちばん抱いていると信じています〉

(編集部)

引用元:LITERA

 

勝つ方法はあきらめないこと!

 

 

沖縄県民の合言葉は

「勝つ方法は諦めないこと!」

翁長知事の意思を引き継いで、ますます反対運動は活発になると思います!

画像は、2017年6月23日の沖縄全戦没者追悼式で、翁長雄志沖縄県知事と出席者の険しい視線が一斉に安倍晋三首相に向けられるというベストショット!

どれだけ、沖縄が安倍政権にいじめられているかが分かる一枚ですよね。

大人だけでなく、子供までもです。

翁長知事が訴えているように、全国で考えるべきである基地問題、翁長雄志知事が亡くなった今、もう一度、全国で話し合ってほしいです!

がん闘病中に死去…沖縄・翁長知事が命を賭して訴えた正論

2018.8.08 日刊ゲンダイ⬇︎

日刊ゲンダイ

https://twitter.com/deskain/status/1027215965283540992?s=12

https://twitter.com/henchinsai/status/1027188374400978944?s=12

https://twitter.com/thoton/status/1027159117046067200?s=12

 

安室奈美恵さんと翁長知事

https://twitter.com/dqaburamamire/status/1027153831182749698?s=12

 

まとめ

すい臓がんという病気と闘いながら、最後まで辺野古基地建設を阻止しようとしていた翁長知事、日に日に痩せていく姿を見ながらも県民の期待が大きかっただけに無理をさせていたのかも知れません。

これを機会に全国の人が、沖縄の基地問題に心を寄せて
くれたら、翁長知事も安心して休めると思います!

ご冥福をお祈りいたします。安らかにお眠りください。

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